拝啓 井門義博です
拝啓 井門義博です
九州、有田へ行って来ました
11年09月22日 17:16:00 | ノンジャンル子供(四男=小五)の夏休みの宿題「日本の伝統工芸について1ページでレポートを纏めよ」という宿題が出ました。
先生から「例」として出されていたのが「有田焼」でした。
私の母の実家は「有田焼」です。
そうなったからには宿題を真正面から受け止め、「例」に従って有田焼に取り組むべきかも・・・
そんな訳でママから「協力して」という要請が出ました。
久々に九州へ、有田へ行って来ました。
長崎空港へ飛びます。

飛行機は大村湾上空に掛かりました。 飛行機の影が海面に映っています。

長崎空港です。

長崎空港では椅子は全てカステラを使って居ます。 (もちろんウソです)

巨大なちゃんぽん

まずはポーセリンパークの見学からはじめます。

ヨーロッパ風に作られた街並

ヨーロッパの王宮を思わせます・・・
有田焼;古の呼び方で古伊万里(ヨーロッパではその出荷港「伊万里」で知られました)は日本で最初の輸出工業製品です。
その「思い入れ」でこんなモノを造ってしまうとはなんという大胆・・・・
http://www.nonnoko.com/app/zwinger_right.html

堀を渡ります。 鴨さんの「お家」が有ります。

幸せな(?)鴨たち。

錦鯉も泳いでいます。

古伊万里展示館は当然ながら撮影禁止・・・残念ながら図録も無いんです。
まさにバブルの頃、香蘭社社長だった深川正がヨーロッパから古伊万里を買い戻しました。
それを展示する古伊万里展示館を作る事によって有田の地位を高めよう、ひいては有田焼を代表する香蘭社がますます栄える事を狙ったのがポーセリンパークです。

奥のヨーロッパ式の庭園が凄いです。 ポーセリン「パーク」のパークはこれでしょうか。

こちら側が古伊万里展示館サイドです。 ベルサイユ宮殿かと思ってしまいます。

こちらは何に使うのでしょう? 使い道は・・・結婚式場などどうでしょうか?
(↑それらに対しては先ほどのネットのページに皆「答」が出てますね)

細かい装飾も手が抜かれていません。

お土産売店も雄大です。

折角ですので「ヨーロッパ風街並」で食事です。

レストラン入口

バイキング形式です。

結果的に「和洋中華なんでも有り」という日本のご飯でした。

有田の街にやってきました。 此処は有田駅近く、やや上有田寄りの踏切です。
列車は特急【みどり13号】【ハウステンボス13号】です。

母の実家に到着です。 香蘭社深川家本宅です。
子供時代毎年来ていました。
使う列車は【さくら】【あさかぜ】半々といったところです。
生後すぐから20回30回も往来したかと思います。
九州への寝台列車の旅が私の鉄道趣味の原点だと思います。

有田市街の通りと本宅の間に門を挟むように展示館が建っています。
右手前側が大正時代の建物、左側が明治時代後期の建物、更に左、本宅に繋がる部分は明治初期の建物だそうです。
http://www.koransha.co.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E8%98%AD%E7%A4%BE
http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=33.18758179&lon=129.89594128&z=13

本宅の中(一部分)の様子です。


廊下が少なく襖で仕切られた部屋が複雑な形で繋がった独特の造りです。

私の叔母と「困窮してしまった私」です。
「絵を描いて行け」 「お前の好きな汽車ぽっぽを描け」 とのご命令です。
困りました・・・突然で描くモノが思いつかない・・・・

「ええい!毒をくらわば皿まで模型チックに!!」と描いた「しゅっぽ」です。
な、な、なんとなさけない。
こうして見ると全体に縦に長くなって仕舞いましたがキャブの楕円の銘板は9番のつもりです。
でも家族を待たす訳に行かないのであっという間に描かなくてはいけないわけでありまして・・・
こういう事態を踏まえて、こういうとき何を書けばよいか考えて置かなくては・・と思います。
(「しゅっぽ」を描くなら煙中心で絵柄を作れば無難かも知れません)

従兄弟一同勢揃いという奇跡的記念写真です。
(偶然この日午前中テレビの取材が有った事が原因かもしれません)

昔は実家に泊まりましたが、最近(ここ30年くらい)は嬉野温泉大正屋です。
http://www.taishoya.com/
価格に比べての「料理、温泉、サービス」どれをとっても「日本で抜群のひとつ」かなと思っています。

夕食です。 (もちろんこれからいろいろ出てくるのですが)

朝食です。

温泉湯豆腐は圧倒的に素晴しいです。
http://www.spa-u.net/shopping.html?cate=3

大正屋を後にして有田へ向かいます。
銀色の車が我々のレンタカートヨタイプサム。 (ナンバーはなんと4-8-4です!)

嬉野温泉(佐賀県)→有田(佐賀県)は必ず途中長崎県波佐見町を通ります。
「有田焼」は隣接の長崎県波佐見町で作られたモノも結構有るようです。
有田の東側、上有田~三間坂に峠があります。
(峠の西側の)有田は三間坂=佐賀側と切り離されている感じがします。
それで隣接の波佐見町に焼物産地が広がっていったのではないでしょうか。
「県」が違うので波佐見と有田は合併できないのが長年の悩みです。

本日最初の「お題」は香蘭社工場見学です。

かつては「赤絵工房」などという「見せる為の工場」を有田市街に用意していた香蘭社ですが、現在は閉めていますのでホンモノの工場です。

職人さんは男女半々かなと言う位女性が多いです。 ここでは手動のろくろを使って居ます。

香蘭社は有田焼としても高級品ですのでどうしても手作業の多い制作過程になります。
形を作ってから3回(場合によってはそれ以上)焼きます。
1回目は800度位の素焼きで、二度目、三度目は1300度位の高温で焼き、各回毎の「焼き」の間に彩色や「絵付け」が入ります。

女性ばかりが出てくるのは私が女性中心で撮影しがちだからでしょうか。

昭和10年頃の荷造場(左)窯場(右)の写真の説明をして頂いて居ます。

本宅の門右側の明治後期の建物1Fは香蘭社のショップになっています。 2F展示館に上がる階段が見えています。

染錦扇面散大花瓶 ¥6,300,000
ショップの中で一番高額な商品がこれでした。 (←通常の商品はこんな突飛なモノではないです)

階段の途中から撮したショップ全景です。

2階の展示館です。 建物は「明治後期」です。
現在は「古伊万里」より明治期の香蘭社製品を中心に展示しているとのことです。

展示館の続きですが「明治初期の建物」に入って来ました。

明治時代の商品、口ひげを汚さずにコーヒーを飲む為のカップです。

貴賓室? 謁見室?
一番奥は明治天皇が座る玉座です。 (普段は公開していないようです)
この奥は本宅に繋がって居るそうで本宅には明治天皇用のパジャマが現在でも保管されており、昨日午前中はテレビ局がロケに来ていたそうです。
(お前はパジャマを見てきたかと聞かれましたが忙しくて見る余裕はありませんでした)
明治初期は日本からの輸出工業製品は「青磁」だけだったので明治政府の力の入れ様は凄まじいモノだったようです。
昭和天皇御来幸の写真も有りますので明治時代に限ったことでもないようです。

有田の町側から見た香蘭社のショップ、展示館。
手前が大正期、奥が明治後期の建物。

お墓参りに行きます。

怪しい路地から怪しい踏切へ

小径は続く

左に目を転じれば古い墓地があります。
奥の門の向こうが香蘭社深川家の墓所です。

第十代深川栄左ェ門、輝子の墓 私にとっては祖父と祖母です。
可動式の扉が付いており、正面は戒名なので誰だか判りませんが横に生前の名前が彫られていて判ります。
祖父は私が3歳の時に亡くなっているので憶えていません。
祖母は大変よく憶えています。
祖母の実家は八代ですが、祖母方の母の従兄弟に貝島炭坑の貝島さんが居ます。
それを知ったのは昭和57年、祖母が亡くなった葬儀の席でした。
私は、母の従兄弟に貝島さんが居るとは知らず、母は貝島炭坑で汽車が走って居て私が撮りに行ったとは知らなかったのです。
知っていたら一週間でも泊まり込んで触らせて貰っていた・・・アルコとコッペルの違いから文化比較まで語るようになっていたかも知れません。

深川家墓所の全容。
深川正元社長以来「深川家の墓」として現代式になり、独特の形態の夫婦一代毎の墓石の中にあって異彩を放っています。
深川正さんは古伊万里の研究では日本全体から見て特別な存在でした。
http://www.koransha.co.jp/umi/index.htm

墓所から本宅の裏にある香蘭社碍子工場と母の通った小学校(当然建物は違うでしょうけれど)が見えます。
碍子;九州最古の会社=香蘭社が明治の初めから取り組んでいる事業です。

墓所前の「別荘踏切」を通過する【みどり20号】【ハウステンボス20号】

母は武雄高校へ通うのにこの踏切から線路を上有田駅へ走ったそうです。
蒸機列車が後方から迫り、犬走りでやり過ごして列車を追って再び走り、上有田で追いついて乗れた・・・・此処の勾配はそれほどきつくて汽車は遅かったそうです。

線路のやや街寄りの路地を上有田方向へ歩きます。
(残念ながら限られた時間では上有田駅は訪問出来ませんでした)
上有田は私の蒸機初体験の地です。
中学受験に成功して晴れ晴れした気持ちで唐津(親戚が居ます)から上有田に兄弟2人(小学6年生と4年生ですね)で列車に乗りました。
唐津から唐津線はDC
山本から筑肥線もDC
伊万里から松浦線はC11の牽く3両の客車
有田から上有田は佐世保線のC57の客車列車;何両か算えられない程長い列車「C57は凄いな」と思いました。 (今考えると8両程度かなと思います)
(そこまではぜんぜん蒸機体験ではありません。 蒸機は九州で時々目にしていました)
上有田にD51の貨物列車が停まっていました。(交換だったのかなと思います)
「これがあの有名なデコイチか」 (あちこちシューシュー言っていて怖かったです)
と見ていたら汽笛を鳴らして発車していきました。
汽笛の音の大きさに飛び上がりました。
「電車とブルトレ」少年は「SLブーム」に反感を感じていたのですが、この後徐々に傾倒して行く事になります。

陶山神社(一寸工事中ですが)も見に行きます。

長い階段を上って世にも珍しい「焼き物」の鳥居を見ます。

此処にも祖父の名前がありました。

焼き物の狛犬

こちら巨大な鉢でしょうか・・・

工事は参道の整備です。
この右はるか奥の山の上に「李三平の碑」が有ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%8F%82%E5%B9%B3
これも参拝したかったのですが雨で道が悪く今回は諦めました。

短い参道の端には

踏切があります。 2937M佐世保行きです。

かつては警報機が無かったに違い有りません。 936M肥前山口行き。

有田の市街。 香蘭社が50m先右側に見えてきました。

長崎自動車道を帰途に就きます。

大村湾が見えてきました。

台風で羽田空港が閉鎖され飛行機が遅れるので父子で長崎風の夕食です。 (ママはお買い物)

角煮まんじゅう

皿うどん

一時間半遅れで無事羽田に到着致しました。
1泊という短時間ですが長崎空港+レンタカーという「奮発」で李三平の碑を除いてはフルコースかという充実でした。
元来の目的「子供の宿題」も大成功で「○」が貰えたそうです。
先生から「例」として出されていたのが「有田焼」でした。
私の母の実家は「有田焼」です。
そうなったからには宿題を真正面から受け止め、「例」に従って有田焼に取り組むべきかも・・・
そんな訳でママから「協力して」という要請が出ました。
久々に九州へ、有田へ行って来ました。
長崎空港へ飛びます。

飛行機は大村湾上空に掛かりました。 飛行機の影が海面に映っています。

長崎空港です。

長崎空港では椅子は全てカステラを使って居ます。 (もちろんウソです)

巨大なちゃんぽん

まずはポーセリンパークの見学からはじめます。

ヨーロッパ風に作られた街並

ヨーロッパの王宮を思わせます・・・
有田焼;古の呼び方で古伊万里(ヨーロッパではその出荷港「伊万里」で知られました)は日本で最初の輸出工業製品です。
その「思い入れ」でこんなモノを造ってしまうとはなんという大胆・・・・
http://www.nonnoko.com/app/zwinger_right.html

堀を渡ります。 鴨さんの「お家」が有ります。

幸せな(?)鴨たち。

錦鯉も泳いでいます。

古伊万里展示館は当然ながら撮影禁止・・・残念ながら図録も無いんです。
まさにバブルの頃、香蘭社社長だった深川正がヨーロッパから古伊万里を買い戻しました。
それを展示する古伊万里展示館を作る事によって有田の地位を高めよう、ひいては有田焼を代表する香蘭社がますます栄える事を狙ったのがポーセリンパークです。

奥のヨーロッパ式の庭園が凄いです。 ポーセリン「パーク」のパークはこれでしょうか。

こちら側が古伊万里展示館サイドです。 ベルサイユ宮殿かと思ってしまいます。

こちらは何に使うのでしょう? 使い道は・・・結婚式場などどうでしょうか?
(↑それらに対しては先ほどのネットのページに皆「答」が出てますね)

細かい装飾も手が抜かれていません。

お土産売店も雄大です。

折角ですので「ヨーロッパ風街並」で食事です。

レストラン入口

バイキング形式です。

結果的に「和洋中華なんでも有り」という日本のご飯でした。

有田の街にやってきました。 此処は有田駅近く、やや上有田寄りの踏切です。
列車は特急【みどり13号】【ハウステンボス13号】です。

母の実家に到着です。 香蘭社深川家本宅です。
子供時代毎年来ていました。
使う列車は【さくら】【あさかぜ】半々といったところです。
生後すぐから20回30回も往来したかと思います。
九州への寝台列車の旅が私の鉄道趣味の原点だと思います。

有田市街の通りと本宅の間に門を挟むように展示館が建っています。
右手前側が大正時代の建物、左側が明治時代後期の建物、更に左、本宅に繋がる部分は明治初期の建物だそうです。
http://www.koransha.co.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E8%98%AD%E7%A4%BE
http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=33.18758179&lon=129.89594128&z=13

本宅の中(一部分)の様子です。


廊下が少なく襖で仕切られた部屋が複雑な形で繋がった独特の造りです。

私の叔母と「困窮してしまった私」です。
「絵を描いて行け」 「お前の好きな汽車ぽっぽを描け」 とのご命令です。
困りました・・・突然で描くモノが思いつかない・・・・

「ええい!毒をくらわば皿まで模型チックに!!」と描いた「しゅっぽ」です。
な、な、なんとなさけない。
こうして見ると全体に縦に長くなって仕舞いましたがキャブの楕円の銘板は9番のつもりです。
でも家族を待たす訳に行かないのであっという間に描かなくてはいけないわけでありまして・・・
こういう事態を踏まえて、こういうとき何を書けばよいか考えて置かなくては・・と思います。
(「しゅっぽ」を描くなら煙中心で絵柄を作れば無難かも知れません)

従兄弟一同勢揃いという奇跡的記念写真です。
(偶然この日午前中テレビの取材が有った事が原因かもしれません)

昔は実家に泊まりましたが、最近(ここ30年くらい)は嬉野温泉大正屋です。
http://www.taishoya.com/
価格に比べての「料理、温泉、サービス」どれをとっても「日本で抜群のひとつ」かなと思っています。

夕食です。 (もちろんこれからいろいろ出てくるのですが)

朝食です。

温泉湯豆腐は圧倒的に素晴しいです。
http://www.spa-u.net/shopping.html?cate=3

大正屋を後にして有田へ向かいます。
銀色の車が我々のレンタカートヨタイプサム。 (ナンバーはなんと4-8-4です!)

嬉野温泉(佐賀県)→有田(佐賀県)は必ず途中長崎県波佐見町を通ります。
「有田焼」は隣接の長崎県波佐見町で作られたモノも結構有るようです。
有田の東側、上有田~三間坂に峠があります。
(峠の西側の)有田は三間坂=佐賀側と切り離されている感じがします。
それで隣接の波佐見町に焼物産地が広がっていったのではないでしょうか。
「県」が違うので波佐見と有田は合併できないのが長年の悩みです。

本日最初の「お題」は香蘭社工場見学です。

かつては「赤絵工房」などという「見せる為の工場」を有田市街に用意していた香蘭社ですが、現在は閉めていますのでホンモノの工場です。

職人さんは男女半々かなと言う位女性が多いです。 ここでは手動のろくろを使って居ます。

香蘭社は有田焼としても高級品ですのでどうしても手作業の多い制作過程になります。
形を作ってから3回(場合によってはそれ以上)焼きます。
1回目は800度位の素焼きで、二度目、三度目は1300度位の高温で焼き、各回毎の「焼き」の間に彩色や「絵付け」が入ります。

女性ばかりが出てくるのは私が女性中心で撮影しがちだからでしょうか。

昭和10年頃の荷造場(左)窯場(右)の写真の説明をして頂いて居ます。

本宅の門右側の明治後期の建物1Fは香蘭社のショップになっています。 2F展示館に上がる階段が見えています。

染錦扇面散大花瓶 ¥6,300,000
ショップの中で一番高額な商品がこれでした。 (←通常の商品はこんな突飛なモノではないです)

階段の途中から撮したショップ全景です。

2階の展示館です。 建物は「明治後期」です。
現在は「古伊万里」より明治期の香蘭社製品を中心に展示しているとのことです。

展示館の続きですが「明治初期の建物」に入って来ました。

明治時代の商品、口ひげを汚さずにコーヒーを飲む為のカップです。

貴賓室? 謁見室?
一番奥は明治天皇が座る玉座です。 (普段は公開していないようです)
この奥は本宅に繋がって居るそうで本宅には明治天皇用のパジャマが現在でも保管されており、昨日午前中はテレビ局がロケに来ていたそうです。
(お前はパジャマを見てきたかと聞かれましたが忙しくて見る余裕はありませんでした)
明治初期は日本からの輸出工業製品は「青磁」だけだったので明治政府の力の入れ様は凄まじいモノだったようです。
昭和天皇御来幸の写真も有りますので明治時代に限ったことでもないようです。

有田の町側から見た香蘭社のショップ、展示館。
手前が大正期、奥が明治後期の建物。

お墓参りに行きます。

怪しい路地から怪しい踏切へ

小径は続く

左に目を転じれば古い墓地があります。
奥の門の向こうが香蘭社深川家の墓所です。

第十代深川栄左ェ門、輝子の墓 私にとっては祖父と祖母です。
可動式の扉が付いており、正面は戒名なので誰だか判りませんが横に生前の名前が彫られていて判ります。
祖父は私が3歳の時に亡くなっているので憶えていません。
祖母は大変よく憶えています。
祖母の実家は八代ですが、祖母方の母の従兄弟に貝島炭坑の貝島さんが居ます。
それを知ったのは昭和57年、祖母が亡くなった葬儀の席でした。
私は、母の従兄弟に貝島さんが居るとは知らず、母は貝島炭坑で汽車が走って居て私が撮りに行ったとは知らなかったのです。
知っていたら一週間でも泊まり込んで触らせて貰っていた・・・アルコとコッペルの違いから文化比較まで語るようになっていたかも知れません。

深川家墓所の全容。
深川正元社長以来「深川家の墓」として現代式になり、独特の形態の夫婦一代毎の墓石の中にあって異彩を放っています。
深川正さんは古伊万里の研究では日本全体から見て特別な存在でした。
http://www.koransha.co.jp/umi/index.htm

墓所から本宅の裏にある香蘭社碍子工場と母の通った小学校(当然建物は違うでしょうけれど)が見えます。
碍子;九州最古の会社=香蘭社が明治の初めから取り組んでいる事業です。

墓所前の「別荘踏切」を通過する【みどり20号】【ハウステンボス20号】

母は武雄高校へ通うのにこの踏切から線路を上有田駅へ走ったそうです。
蒸機列車が後方から迫り、犬走りでやり過ごして列車を追って再び走り、上有田で追いついて乗れた・・・・此処の勾配はそれほどきつくて汽車は遅かったそうです。

線路のやや街寄りの路地を上有田方向へ歩きます。
(残念ながら限られた時間では上有田駅は訪問出来ませんでした)
上有田は私の蒸機初体験の地です。
中学受験に成功して晴れ晴れした気持ちで唐津(親戚が居ます)から上有田に兄弟2人(小学6年生と4年生ですね)で列車に乗りました。
唐津から唐津線はDC
山本から筑肥線もDC
伊万里から松浦線はC11の牽く3両の客車
有田から上有田は佐世保線のC57の客車列車;何両か算えられない程長い列車「C57は凄いな」と思いました。 (今考えると8両程度かなと思います)
(そこまではぜんぜん蒸機体験ではありません。 蒸機は九州で時々目にしていました)
上有田にD51の貨物列車が停まっていました。(交換だったのかなと思います)
「これがあの有名なデコイチか」 (あちこちシューシュー言っていて怖かったです)
と見ていたら汽笛を鳴らして発車していきました。
汽笛の音の大きさに飛び上がりました。
「電車とブルトレ」少年は「SLブーム」に反感を感じていたのですが、この後徐々に傾倒して行く事になります。

陶山神社(一寸工事中ですが)も見に行きます。

長い階段を上って世にも珍しい「焼き物」の鳥居を見ます。

此処にも祖父の名前がありました。

焼き物の狛犬

こちら巨大な鉢でしょうか・・・

工事は参道の整備です。
この右はるか奥の山の上に「李三平の碑」が有ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%8F%82%E5%B9%B3
これも参拝したかったのですが雨で道が悪く今回は諦めました。

短い参道の端には

踏切があります。 2937M佐世保行きです。

かつては警報機が無かったに違い有りません。 936M肥前山口行き。

有田の市街。 香蘭社が50m先右側に見えてきました。

長崎自動車道を帰途に就きます。

大村湾が見えてきました。

台風で羽田空港が閉鎖され飛行機が遅れるので父子で長崎風の夕食です。 (ママはお買い物)

角煮まんじゅう

皿うどん

一時間半遅れで無事羽田に到着致しました。
1泊という短時間ですが長崎空港+レンタカーという「奮発」で李三平の碑を除いてはフルコースかという充実でした。
元来の目的「子供の宿題」も大成功で「○」が貰えたそうです。
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