拝啓 井門義博です
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矢野登志樹さん亡くなる
22年08月10日 02:05:31 | 海外蒸機矢野登志樹さんといえば、お立ち台通信などでずいぶん写真を出していたりご存知の方も多いと思います。
私が知り合ったのは1994年2月、二人組(奥井+イモン)と四人組(矢野さんと他三人)が付かず離れずで訪中した時でした。 凄いメンバーだったのですが、四人組の方は山下修司先生の立てた計画に従ってのツアー、二人と四人は最初と最後は同行ですが、二人組は今行かなければ無くなると恐れて大寒冷じゃなくて大観嶺と紅房子を両方やる、そのためには夜行、夜行、夜行、民家、夜行、夜行と続く強行軍でした。 夜行3つ目は南岔を18:30頃乗車ハルピン着午前1時、乗換午前2:40で牡丹江へという無岔なコースでした。 我々が師匠であったK国Kさんはこんな欲張った計画は絶対失敗すると忠告されましたがなんとか生還しました。 話が逸れますね。
矢野さんです。
白血病でここ4〜5年でしょうか闘病していました。
1994年に初めて会った時から大好きでした。 「世の中には良い矢野と悪い矢野が居る」と言う人もいましたが、イモンには矢野さんは全部良い人だと思います。

四平の駅前、カメラを構えるイモンの背後が駅舎です。 矢野登志樹さんは左から二人目。

四平構内です。ここから夜行で南岔に向かいますが、二人組と四人組は別々の汽車に乗った記憶があります。 なかなか想像を絶する世界だったと写真を見ると感慨深いです。
案内してくれる中国の人達は驚くべき強行軍でこの人達は何がしたくて来たのか理解できなかったんじゃないかと今になって思います。
「ドイツ」が矢野登志樹さんにとってまさに活躍の場でした。
2014年の蒸機祭りの時、途中何度か会いました。

成果物を見せびらかす矢野登志樹さん。
ドイツの国道沿いの食堂に停まる我々の車を目敏く見つけて合流、一緒に食事、情報交換となりました。
矢野さんがかなり集中していた“ハルツ”などの写真集が追悼でできたら何よりのように思います。
通夜が8月14日18時〜19時、告別式が8月15日12時〜13時、エヴァホール津田山です。
「鉄」仲間で送ってやれればせめてもです。
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