拝啓 井門義博です
拝啓 井門義博です
C5765[宮]明日発売です。
12年04月19日 14:03:00 | 鉄道模型明日4月20日友引、C5765が発売されます。
南九州のライトパシフィックの写真集より前に模型が発売になってしまうのは忸怩たるモノが有りますが、良いものを作る為には妥協を許すわけには行かないと考えています。

これは3月末の試作品の姿です。
発売されるC5765とは違うところ(例えば区名札やシンガーフィニッシュの仕上がり状況)もあります。
現在まだ全力を挙げて工作中だと思われますので真の姿は私にも見えていないのです。
IMON蒸機は手作りで仕上げて販売する製品として限界に近い「工作」が行われますので、これからは「毎月」ではなく「隔月」程度の発売にして行かざるを得ない様です。

C5765とはいかなる機関車でしょうか。
車歴; 川崎重工兵庫工場製 製造番号1964
1938-08-19 製造→配属[達673]大阪局 配置;大阪局
1942-09-30 現在;宮原
1945-04-01 現在;門司港
1953-03-10 小倉工場にて切取式除煙板K-5型装備
1953-07-01 現在;門司港
1958-03-00 大分転配
1968-10-01 宮崎転配
1970-05-20 全検
1974-04-20 休車(1974-04-24 南宮崎電化、大分区のDF50宮崎転配で日豊本線鹿児島までほぼ無煙化)
1974-05-09 廃車上申 1974-06-20 廃車[工車204];宮崎(廃車後C12241 を保存のおりデフレクター譲渡)

C5765は宮崎の「華」です。
「華」は宮崎に沢山咲き誇っていたのは事実ですが、歴史から考えても宮崎を代表する「華中の華」はC5765(元かもめ牽引機)とC57117(最後の蒸機お召し機関車)の2両です。
しかし、最後の最後、宮崎は真に投げやりな最後を迎えます。
1974-3-31 最後の蒸機急行〔日南3号〕蒸機最終日はC5741(半年前に浜田から転属)
1974-4-24 南延岡→南宮崎さよなら列車はC57169+C57130(一年前に人吉から転属)
これにて宮崎区のC57は全機廃車、鹿児島のC57175が残り、客寄せパンダ=吉松の2両のC55が鹿児島転配となりました。
すみません・・・話が逸れてしまいました。
特急【かもめ】の話
昭和28年3月15日京都⇔博多に特急【かもめ】が走り出しました。
戦後の荒廃を脱し新時代を拓く九州の鉄道の象徴です。
九州内の特急牽引機として4両のC57が指定され、お召し機並に各部に装飾が為されました。
C5765もその1両です。
C5765は【かもめ】運転開始直前の昭和28年3月「3日に入場10日出場」という甲修繕(後の全般検査)を受け、小倉工場で特別な門鉄デフを装備されました。
(因みにC5711がK-7を装備するのは昭和29年2月27日という後日です)
何故特別な門鉄デフなのか?
門鉄デフ(切取式除煙板)は昭和27年1月小倉工場機関車課長が国鉄本社での会議で聞いてきた情報から「外国には煙除け板を半分に切り取ったものが有ると聞いたので煙除け板を切ってみようではないか」となり、ボイラーと同心円状にアールを付けたものを試作しました。
外国の切取式除煙板とはドイツのウィッテ式で、同心円状にアールが付いています。 その写真を見て同様に作ったと考えるのが自然です。
また、長さは小倉が受け持つ最大の蒸機C57、D51に合わせましたが、四隅のアールは(オリジナルを見習ってか?)小さなアールにしました。
http://www-personal.umich.edu/~khmiska/_derived/BR42.htm
(ウィッテ式は鋼板節約目的で戦時中に戦時型に付けたのが始まりでバイパス弁点検の容易さという副産物が良く、それが目的でほぼ全機を交換に至りました)
(ウィッテ式には小倉工場が見落とした別の利点も有ったのですが・・・)
しかし、ボイラーと同心円状にアールを付けたものでは従来の除煙板を利用出来ない「これはやり過ぎだろう」という事になり、新たに従来品を再利用出来る形で図面製作・試作し、C57155に取り付けて昭和27年4月出場させました。
K-1タイプ(日本で最初の切取除煙板)の誕生です。
同心円状にアールを付けた“虎の子”試作品は保管され、様々な試作品が試されていきます。
K-2、K-3、K-4・・・・
(この分類名は関崇博さんによる命名です)
保管されていた「理想の形状で製作した試作品」は【かもめ】牽引機C5765に装備されたのです。
“特別な門鉄デフ”という言い方は実はへりくだった言い方なのです。
実際には、日本の切取式除煙板として最古であるだけでなく、小倉工場で施工された門鉄デフの中で製作コスト節減という枠を嵌められていない唯一の除煙板なのです。
日本でもバイパス弁の点検には頭を痛めます。
バイパス弁点検を容易にする目的で
①「手の掛かった方法=切取式除煙板製作・それに交換」
②「手の掛からない方法=除煙板に穴を開ける」
のどちらかが施工されますが、蒸機が華やかなりし頃には日本の4カ所の工場で①が有ったと言うことです。
除煙板製作に手の掛からない方法を工夫しなければならなかった事が判ると思います。
後年、③「廃車機の切取式除煙板を他機に転用」
という手段が現われるようになります。

これはシンガーフィニッシュバージョンです。
C5765には200mmの[架線注意]看板5枚、300mmの[架線注意]看板が機関車に4枚、テンダーに2枚貼られています。 合計11枚です。
リンゲルマンチャート(煙色測定板)は最末期に於いては煤を浴びて真っ黒でしたが愛情を込めて再現してあります。

昭和31年九州にC59が転入してC5765は【かもめ】運用から撤退、やがて大分、宮崎と都落ちして行きました。
しかしC57は日豊本線では花形でした。
数々の急行列車を牽いて輝き続けました。
宮崎以南ではD51が入線出来ない事から貨物も牽引しました。
キューロクはダメだったのか?と思いますが
① 最高速度65km/hでは「本線」を任せ難い事
② 出力が2割以上違う事
③ 列車密度が低いので客貨両用で運用できる方が有利
と言うことから貨車も牽く事になったと思われます。
昭和48年10月日豊本線に蒸機最後の定期急行〔日南3号〕が設定されC5765もその牽引に活躍しました。
停まりそうな速度で苦しむ【富 士】のDF50に続いて軽やかに登ってくる〔日南3号〕が印象的でした。
蒸機牽引を実現するに当り、難所の田野~青井岳に備えて【彗 星】との行き違いという名目で田野停車を実現し、火床整理する余裕まで持たせた国鉄の努力は感涙モノでした。
あの48-10ダイヤは〔日南3号〕の為に引かれたダイヤだったのです。

C5765のデフは機関車解体後も保管され、熊本県高森でC12241が静態保存されたとき寸法切詰、一部欠き取りのうえ装着されで居ます。
(目的は子供の転落防止)
南九州のライトパシフィックの写真集より前に模型が発売になってしまうのは忸怩たるモノが有りますが、良いものを作る為には妥協を許すわけには行かないと考えています。

これは3月末の試作品の姿です。
発売されるC5765とは違うところ(例えば区名札やシンガーフィニッシュの仕上がり状況)もあります。
現在まだ全力を挙げて工作中だと思われますので真の姿は私にも見えていないのです。
IMON蒸機は手作りで仕上げて販売する製品として限界に近い「工作」が行われますので、これからは「毎月」ではなく「隔月」程度の発売にして行かざるを得ない様です。

C5765とはいかなる機関車でしょうか。
車歴; 川崎重工兵庫工場製 製造番号1964
1938-08-19 製造→配属[達673]大阪局 配置;大阪局
1942-09-30 現在;宮原
1945-04-01 現在;門司港
1953-03-10 小倉工場にて切取式除煙板K-5型装備
1953-07-01 現在;門司港
1958-03-00 大分転配
1968-10-01 宮崎転配
1970-05-20 全検
1974-04-20 休車(1974-04-24 南宮崎電化、大分区のDF50宮崎転配で日豊本線鹿児島までほぼ無煙化)
1974-05-09 廃車上申 1974-06-20 廃車[工車204];宮崎(廃車後C12241 を保存のおりデフレクター譲渡)

C5765は宮崎の「華」です。
「華」は宮崎に沢山咲き誇っていたのは事実ですが、歴史から考えても宮崎を代表する「華中の華」はC5765(元かもめ牽引機)とC57117(最後の蒸機お召し機関車)の2両です。
しかし、最後の最後、宮崎は真に投げやりな最後を迎えます。
1974-3-31 最後の蒸機急行〔日南3号〕蒸機最終日はC5741(半年前に浜田から転属)
1974-4-24 南延岡→南宮崎さよなら列車はC57169+C57130(一年前に人吉から転属)
これにて宮崎区のC57は全機廃車、鹿児島のC57175が残り、客寄せパンダ=吉松の2両のC55が鹿児島転配となりました。
すみません・・・話が逸れてしまいました。
特急【かもめ】の話
昭和28年3月15日京都⇔博多に特急【かもめ】が走り出しました。
戦後の荒廃を脱し新時代を拓く九州の鉄道の象徴です。
九州内の特急牽引機として4両のC57が指定され、お召し機並に各部に装飾が為されました。
C5765もその1両です。
C5765は【かもめ】運転開始直前の昭和28年3月「3日に入場10日出場」という甲修繕(後の全般検査)を受け、小倉工場で特別な門鉄デフを装備されました。
(因みにC5711がK-7を装備するのは昭和29年2月27日という後日です)
何故特別な門鉄デフなのか?
門鉄デフ(切取式除煙板)は昭和27年1月小倉工場機関車課長が国鉄本社での会議で聞いてきた情報から「外国には煙除け板を半分に切り取ったものが有ると聞いたので煙除け板を切ってみようではないか」となり、ボイラーと同心円状にアールを付けたものを試作しました。
外国の切取式除煙板とはドイツのウィッテ式で、同心円状にアールが付いています。 その写真を見て同様に作ったと考えるのが自然です。
また、長さは小倉が受け持つ最大の蒸機C57、D51に合わせましたが、四隅のアールは(オリジナルを見習ってか?)小さなアールにしました。
http://www-personal.umich.edu/~khmiska/_derived/BR42.htm
(ウィッテ式は鋼板節約目的で戦時中に戦時型に付けたのが始まりでバイパス弁点検の容易さという副産物が良く、それが目的でほぼ全機を交換に至りました)
(ウィッテ式には小倉工場が見落とした別の利点も有ったのですが・・・)
しかし、ボイラーと同心円状にアールを付けたものでは従来の除煙板を利用出来ない「これはやり過ぎだろう」という事になり、新たに従来品を再利用出来る形で図面製作・試作し、C57155に取り付けて昭和27年4月出場させました。
K-1タイプ(日本で最初の切取除煙板)の誕生です。
同心円状にアールを付けた“虎の子”試作品は保管され、様々な試作品が試されていきます。
K-2、K-3、K-4・・・・
(この分類名は関崇博さんによる命名です)
保管されていた「理想の形状で製作した試作品」は【かもめ】牽引機C5765に装備されたのです。
“特別な門鉄デフ”という言い方は実はへりくだった言い方なのです。
実際には、日本の切取式除煙板として最古であるだけでなく、小倉工場で施工された門鉄デフの中で製作コスト節減という枠を嵌められていない唯一の除煙板なのです。
日本でもバイパス弁の点検には頭を痛めます。
バイパス弁点検を容易にする目的で
①「手の掛かった方法=切取式除煙板製作・それに交換」
②「手の掛からない方法=除煙板に穴を開ける」
のどちらかが施工されますが、蒸機が華やかなりし頃には日本の4カ所の工場で①が有ったと言うことです。
除煙板製作に手の掛からない方法を工夫しなければならなかった事が判ると思います。
後年、③「廃車機の切取式除煙板を他機に転用」
という手段が現われるようになります。

これはシンガーフィニッシュバージョンです。
C5765には200mmの[架線注意]看板5枚、300mmの[架線注意]看板が機関車に4枚、テンダーに2枚貼られています。 合計11枚です。
リンゲルマンチャート(煙色測定板)は最末期に於いては煤を浴びて真っ黒でしたが愛情を込めて再現してあります。

昭和31年九州にC59が転入してC5765は【かもめ】運用から撤退、やがて大分、宮崎と都落ちして行きました。
しかしC57は日豊本線では花形でした。
数々の急行列車を牽いて輝き続けました。
宮崎以南ではD51が入線出来ない事から貨物も牽引しました。
キューロクはダメだったのか?と思いますが
① 最高速度65km/hでは「本線」を任せ難い事
② 出力が2割以上違う事
③ 列車密度が低いので客貨両用で運用できる方が有利
と言うことから貨車も牽く事になったと思われます。
昭和48年10月日豊本線に蒸機最後の定期急行〔日南3号〕が設定されC5765もその牽引に活躍しました。
停まりそうな速度で苦しむ【富 士】のDF50に続いて軽やかに登ってくる〔日南3号〕が印象的でした。
蒸機牽引を実現するに当り、難所の田野~青井岳に備えて【彗 星】との行き違いという名目で田野停車を実現し、火床整理する余裕まで持たせた国鉄の努力は感涙モノでした。
あの48-10ダイヤは〔日南3号〕の為に引かれたダイヤだったのです。

C5765のデフは機関車解体後も保管され、熊本県高森でC12241が静態保存されたとき寸法切詰、一部欠き取りのうえ装着されで居ます。
(目的は子供の転落防止)
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